田舎の不便さは「範囲」より「経路」が問題では?:なぜ40代でバイクに乗ろうと思ったのか2

随想Log

なぜ40代でバイクに乗ろうと思ったのか1で書きましたが、バイクとの関わりが全くない人生から、必然性を感じて唐突にバイクに興味を覚えました。「必然性」書きましたが、別にバイクに限定されず、車でもなんでも「移動手段の必要性」が正確です。本当に移動手段がいるのかな? と考える中で、田舎の不便さは「範囲」が広い(から移動手段がいる)というより「経路」が整ってないから移動距離が長くなる(から移動手段がいる)ということなのでは? と思うようになりました。

これまでの生活環境

関東某県に住んでいた頃、最寄り駅から住んでいたアパートまで、徒歩で25分ほどでした。自転車で10分ちょい。当時の居住権内の感覚だと、最寄りと言うにはちょっと遠い部類に入ります。

しかし駅前から家までの間に、多少ルートを変えるだけでスーパー3件、大きめのドラッグストア2件、おまけにイオンがありました。イオン万歳。コンビニは駅前だけで数件。スーパーのうち一つは24時まで開いてましたし、イオンも22時だったかな? あたりまで営業してます。買い物には困りませんでした。

食事に限定するなら、駅前含め飲食店数知れず。駅の近くでだいたい済みます。仕事で遅くなっても、買い物や食事に困ることがなかったのです。

愛媛(松山市)はコンパクトシティ?

で、愛媛です。

来る前にWebでよく目にした意見は「街がコンパクトにまとまっており、必要なものは近場で全部揃う」というもの。

街がコンパクトにまとまっている、これは本当だった。色々な機能が中心部松山に集まっていて、半径5キロ以内に松山城と県庁、市役所と繁華街が存在するイメージ。間違いなくコンパクトにまとまっています。

しかし、職場と自宅アパートの往復を中心とした生活を送るなかで、どうもこれまでとは勝手が違う。些細な事が積み重なって色々不便に感じる、みたいなもので、これといって大きな理由が見当たらない。何が一番違うのか考えて、思い当たったのが「範囲」ではなく「経路」の問題ではないかということ。

生活が便利かどうかは「範囲」でなく「経路」

一番の違いを感じたのは、職場から自宅まで、というルート上にスーパーとかが少ないことです。少々回り道すればもちろんあります。しかし、なんというか配置が違う。土地が違うんだから当たり前だろうと思われるかもしれません。しかし東京都某区を含めて3回ほど関東圏で引っ越しを経験し、複数の街に住みましたが、こんな違和感は感じませんでした。

自転車で移動していても、まっすぐ走れないというか「これを買うためにあっちの店へ」「あれを買うためには、こっちの店へ」という感じです。店と店の間が妙に開くし、方向が定まらない感じを受けます。なんかものすごく面倒臭い。コンビニだろうがスーパーだろうが、広い駐車場が備わっていて、というあたりでようやく気づくわけです。「車が必要不可欠ってこういうことか」。

店が無いわけではありません。あります。あるのですが、なんというか、店舗の密度が薄くて広範囲に渡っています。その間を移動するには、どうしても車が必要になります。自転車でもいけますが、車があれば圧倒的に便利。家と職場の間が公共交通機関で結ばれている点は一緒でも、そのルート上、範囲内でやりくりしようとすると、どこかで無理が出ます。

田舎は「移動のベクトル」が定まらない感じ

もしかするとこれを読まれている方は、すごい山間部にいるように思われるかもしれませんが(そして愛媛県の方は憤慨されてるかもしれませんが)、愛媛県松山市、県庁所在地です。人口51万人です。大街道(おおかいどう)とか、いわゆる街中には店が集まっています。

しかし食料品を買うスーパーというとまた別のところへ行かなければならなかったり、この「ルート上で用事が済ませられない感」がつきまといます。

生活の便利さは「範囲」つまり一定区域内にあるかどうかではなく、自分の生活上の導線である「経路」に依存する。この「経路」があまりに多方面のベクトルで構成されるために、行って戻ったり、自宅→店舗1→店舗2が直線状になく大きな三角形を描く頂点に位置していたり。細々と移動距離が長くなって面倒に感じる。これが私が感じた不便さの正体ではないかと思います。この感じ、共感頂けるものなのかどうかわかりませんが・・・。

同じような事を書かれている(けどもっと馴染んでる)方も

非常に近い感じが「松山市への移住レポート」というサイトに非常に良くまとまっていました。かなり明確な意図をもって松山に移住された方のようで、詳細に「外から来た人が感じる松山の生活」が綴られています。もっとも、この方はすごく松山に適応されている様子。生活を楽しまれているようです。やっぱりイマイチ馴染めないのは、自分の問題か……。

もちろんこのご時世、ネットでいくらでも買物が出来ます。金に糸目をつけないなら、デパートは高島屋と三越があるので全部デパ地下で済ませることもできます(あっという間に破産するので出来ませんが)。

ともかく、買い物に関してはある程度割り切ればよいと言えます。しかし本はパラパラめくってから買いたい派だし(そういえば大きな本屋もありません。不満の一つです)、自炊も週末にどかっと買いだめてうまくローテーション、とかが下手くそなので、気が向いた時に必要なものを買いに行きたいのです。

時間がある時なら自転車をプラプラ走らせてスーパー巡りも悪くありませんが、詰める荷物にも、というより体力が先に限界を迎えます。単にうまく環境の変化に適応できてないだけ、というツッコミは甘んじて受けますが、しかしなかなか慣れません。やはり自分の適応力が不足しているのでしょうか。

田舎は移動手段が生活を快適にするのは間違いない

色々と書きましたが、こんなわけで田舎の不便さは「範囲」が広い(から移動手段がいる)というより「経路」が整ってないから移動距離が長くなる(から移動手段がいる)ということなのでは? という仮説が頭に浮かぶようになりました。

そんなこんなで、ようやく「ああ、これはエンジンのついた移動手段いるわ」と理解するに至ります。自分の根性と体力の無さを棚に上げて。車やらバイクやらが無くてもなんとかなるけれど(実際、なんとかしてた)あったほうが遥かに選択肢が増える、と。

ここまでは生活上の不便さを書いてきましたが、不便さはなんとか耐えられないこともありませんでした。バイクに乗ろう、と考えた理由のもう一つは、純粋に「範囲」の問題です。「範囲」が私のメンタルを蝕むようになりました。ちょっと気分転換、が公共交通機関だと難しいのです。結果として、曰く言い難い閉塞感を感じるようになります。

その3へ続く